自らによってのみ、この身心という事実によってのみ見性大悟する。
これが禅の正法であり、他から学ぶものは何もないのが正伝の仏法です。
学問としての仏教、職業としての僧職、宗教儀式や出家在家といった概念等、
信仰、哲学、生活様式に依らず、禅の”精髄だけ”に極まり、只管修証を生きる。
通常の生活が坐禅になる。
本当は 何もいらないのです。
その本質、悟り、解脱の自由を求めるならば、自らの”身心だけ”で 事足りる。
この解脱の自由のみを追求し、その真偽と実態を顕にさせてきたのが生雲です。
岩城 玄(いわき げん)
2005年より禅の修証を対人を用いて実験する”武道稽古場 生雲”を主宰。只管の真相に触れ続ける。
玄魯義衍老師の嗣法 暁山哲玄老師との縁により見性。老師の賛同を得て、その経緯と体験を著述する。
禅 ~現代における見性悟道の実際~
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